まえがき
漫画『さよならソルシエ』は天才画家フィンセント・ファン・ゴッホではなく弟テオドルス・ファン・ゴッホに焦点を当てた物語です。兄の才能を信じ支え続け、兄の絵を後世に伝えようと奮闘する弟の視点から、芸術の世界では大きな変革期と呼ばれた19世紀末の芸術とは何か、兄弟の絆を描き出しています。
本記事では、原作漫画のあらすじや実話との関係、さらに舞台・ミュージカル化された『さよならソルシエ』の魅力について紹介します。
『さよならソルシエ』とは?ーー漫画が描く天才画家兄弟とは
まずは著者について紹介します。『さよならソルシエ』の著者である穂積さんは、2010年『式の前日』で「月刊flower
では、あらすじを紹介します。まずはWikipediaより
19世紀末のパリ。ブルジョワばかりを顧客に抱える一流画廊「グーピル商会」の支店長で、パリ一の画商と名高いテオドルス・ファン・ゴッホは、新しい才能と芸術の開放を求めていた。しかし、時は権威と保守に満ち、芸術とは上流階級のためのもの、平民は芸術を理解できないとされている時代。
「体制は内側から壊すほうが面白い」、テオドルスは、アカデミーに認められない、人々のありのままの日常を描いた作品を世に出すため、高い壁を打ち壊さんと奮闘する。
Wikipedia
もう一つは『さよならソルシエ』1巻裏表紙より
19世紀末、パリ。
ひとりの天才画商が画壇界を席巻していた。
彼の名はテオドルス・ファン・ゴッホーーのちの天才画家フィンセント・ファン・ゴッホの弟である。
画家と画商、兄と弟・・・・・・
二人のゴッホの絆と確執、そして宿命を鮮やかに描く伝記ロマン、ここに開幕!
『さよならソルシエ』1巻裏表紙より引用
主人公が弟テオドルス・ファン・ゴッホ!?天才画家フィンセント・ファン・ゴッホではないのはなぜ?
『さよならソルシエ』を読みまず不思議に思ったことは、天才画家フィンセント・ファン・ゴッホが中心に描かれていないことです。フィンセント・ファン・ゴッホが描かれている著作物の多くはゴッホが中心に描かれていることが多かったからです。最後まで読むとなるほどと思いました。物語の兄弟の簡単を見るとこうなのかと想像しながら読むことができました。兄フィンセント・ファン・ゴッホは人のためばかりに絵を描く天才画家として描かれいます。弟テオドルス・ファン・ゴッホは天才画商。アカデミー保守派でありながら内側から体制を壊そうとする革命児として描かれています。テオドルス・ファン・ゴッホはフィンセント・ファン・ゴッホの絵の才能を誰よりも早く理解し広めようとした役割を果たしていた人物です。そのため、新しい芸術を世に出す者として描く必要があったのではないでしょうか。主人公という視点でテオドルス・ファン・ゴッホを描くことで芸術をどうよに届けるかの奮闘が描けたのではと思っています。
芸術の世界では大きな変革期と呼ばれた19世紀末の芸術とは何かーー『さよならソルシエ』からみる19世紀画家が見るものとは
19世紀末、芸術の世界では大きな変革期といわれる時代でした。しかし、パリの画壇は権威と保守に満ちあふれ、美術アカデミーが認めた作品のみが価値ある作品とされていました。そのため、芸術とは、品格ある題材を描くものとされ伝統的な宗教画や肖像画を描かれていました。そして、芸術は上流階級のものとされ、一般庶民には理解できないものとされていました。それが19世紀の芸術でした。その一方で、自らの美術観を追求する芸術家たちは新しい芸術を街中の人々に届けようと奮闘します。モンマルトルの「シャノワール」で集まり新しい絵画の在り方を熱心に議論しアカデミー美術に対する不満を共有します。生活の中にある”ありのままの美しさ”を描く、制約も何もないただ感じたものをあるがまま描く、そういうわかりやすいものが百年後の人々の心も掴むことを信じて。『さよならソルシエ』では、一方は、上流階級向けにアカデミーが認める品格ある題材の作品を描くことを芸術とし、一方は、自らの美術観でありのままの美しさを描くことを芸術としアカデミーに認められないが新しい芸術を届けようとしている双方のみている芸術が違うことがよくわかる描かれ方をしていると思います。
『さよならソルシエ』舞台化・ミュージカル
『さよならソルシエ』は2017年に、舞台化されミュージカルにもなっています。テオドルス・ファン・ゴッホ役を良知真次、フィンセント・
舞台は19世紀末のパリ。のちの天才画家フィンセント・ファン・ゴッホとその弟で、画壇界を席巻する天才画商のテオドルス・ファン・ゴッホ。
兄と弟、二人のゴッホの確執と宿命、そして絆を描いた奇跡と感動の物語。生前、1枚しか売れなかったゴッホ、なぜ現在では炎の画家として世界的に有名になったのか・・・。 その陰には実の弟・テオの奇抜な策略と野望があった!
マーベラス公式サイトより
『さよならソルシエ』実話との違いと物語の余韻
『さよならソルシエ』は、史実に忠実な作品ではなく異なるキャラ設定と展開で物語が進んでいます。こんな解釈もあるのかと「もしも」を大胆に描いているところがすごい作品です。最後には大胆につじつま合わせが起こり驚かされました。物語だけでなく、登場人物も実像とは真逆に描かれています。弟テオドルス・ファン・ゴッホはアカデミー保守派でありながら内側から体制を壊そうとする革命児として描かれています。そして、兄の才能に憧れ尊敬を持ちながらも同時に嫉妬も感じている人物としても描かれています。実像として描かれているのは、画家になると決意した兄フィンセント・ファン・ゴッホを経済的・精神的に支え続けた穏やかで優しい性格の人物とされています。兄フィンセント・ファン・ゴッホの死後も作品を広めるため回顧展の開催に奔走しています。兄フィンセント・ファン・ゴッホも同じです。実像と描かれているのは、幼い頃から癇癪持ちで扱いにくいこと言われていたフィンセント。1869年ー1876年、オランダ・ハーグの画商グーピル商会の定員として働くも1876年に解雇されます。その後宗教活動に従事するも1880年ブリュッセルにて本格的に美術を始めるます。1886年パリに移り住み1888年からゴーギャンとの共同生活を始めるも価値観や芸術観が合わず関係が悪化しわずか2か月でゴーギャンが家を去ります。その1週間後、耳を剃刃で切り落とす事件が起こります。その後、精神病院へ収監され1890年麦畑で自殺を図り亡くなったとされています。自ら耳をそぎ落としたり「炎の人」「狂気の天才」などと称され情熱的で激しく、人生を絵にささげた人物とされています。『さよならソルシエ』のフィンセント・ファン・ゴッホは怒りの感情を持たず生きていることそれだけで美しいと感じ絵を描く人物として描かれています。フィンセント・ファン・ゴッホを知らない人も知っている人もこんな解釈ができるのかと驚かれるのではないでしょうか。全2巻完結でサクッと読めますが読んだ後も余韻に浸れる作品だと思います。
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