『天は赤い河のほとり』を読み返すたびに、どうしても気になってしまう人物がいます。
ナキア皇妃です。
初めて読んだとき、私はかなり単純に彼女を「ユーリを苦しめる悪役」として見ていました。
実際、ナキアはユーリの命を狙い、カイルを失脚させようとし、ジュダを帝位につけるために数々の陰謀を巡らせています。
七日熱を利用してユーリを死に追いやろうとしたことも、ヒッタイトとエジプトの関係を利用した策略に関わったことも、原作の中ではっきり描かれています。小学館公式の9巻紹介でも、七日熱の収容所へユーリを追いやった事件について「ナキア皇太后のしわざ」と説明されています。
だから、「ナキアは悪役だ」と言われれば、私は否定できません。
でも、何度も読み返していると、それだけではどうしても引っかかります。
なぜ、この人はここまでしてしまったのでしょうか。
なぜウルヒは、最後までナキアの側にいたのでしょうか。
そして、なぜナキアはジュダを帝位につけることに、ここまで執着したのでしょうか。
私はナキアを読み返していて、ひとつの仮説にたどり着きました。
ナキアは、「大切なものを失いたくない」という気持ちが強くなりすぎた結果、その人の人生まで自分の手で握ろうとしてしまった人物なのではないでしょうか。
そして、そこからさらに考えていくと、ナキアはユーリとは正反対の存在ではなく、
「もう一人のユーリ」
だったのではないか――。
今回は、そんな私なりの読み方でナキア皇妃を考えてみたいと思います。
※この記事は『天は赤い河のほとり』全28巻の内容を含むネタバレ考察です。
ナキアを「悪役」と呼ぶだけでは、どうしても引っかかります
ナキアは、ヒッタイト帝国の皇太后です。
そして、息子ジュダを帝位につけることを望んでいた人物です。
一方、カイルは皇太子として帝位継承をめぐる中心にいます。
そこへ現れたのが、現代日本から古代ヒッタイトへ飛ばされてきたユーリです。
ユーリとカイルが結ばれていくほど、カイルの立場は強くなっていきます。
ナキアからすれば、ユーリは単なる邪魔者ではありません。
ジュダを帝位につけるために排除したい存在になっていきます。
そのためナキアは、ユーリの命を何度も狙います。
8巻では、ヒッタイトとエジプトの友好を望まないナキアがザナンザとユーリに刺客を放ち、ザナンザが命を落とす展開が描かれています。
9巻ではさらに、七日熱を利用してユーリを病死させようとします。
ここまで来ると、ナキアを「悪役」と呼ぶこと自体は間違っていません。
でも私は、ナキアの怖さは「悪い人だから怖い」というだけではないと思っています。
むしろ怖いのは、
本人の中では、自分の行動に筋が通っているように見えることです。
ジュダを帝位につけたい。
自分の立場を守りたい。
自分が守るべきものを失いたくない。
そのためなら、人を動かしてでも未来を変えようとします。
ここにナキアという人物の歪みがあるように思います。
「守りたい」が強くなりすぎたとき、愛は支配に変わる
ここからは、私自身の考察です。
原作が「ナキアは息子への愛情ゆえにすべてを行った」と単純に説明しているわけではありません。
ですから、「ナキア=愛情深い母親」と決めつけるつもりもありません。
ただ、ジュダを帝位につけようとするナキアの姿を追っていると、私はどうしても、
「この人は、自分が考えるジュダの幸せを、自分の手で作ろうとしているのではないでしょうか」
と感じてしまいます。
たとえば、親が子どもの将来を心配すること自体は、決して特別なことではありません。
でも、
「あなたのためだから」
という思いが強くなりすぎると、いつの間にか、
「あなたはこうなるべき」
に変わってしまうことがあります。
私はナキアの悲劇も、そこに近いものがあるのではないかと思っています。
ナキアにとってジュダは、大切な存在でした。
だからこそ、
ジュダが皇帝になる未来を、自分の手で確実なものにしたかった。
そのためにはカイルを排除する必要があります。
ユーリも邪魔になります。
そして、必要なら他の人間まで利用します。
つまりナキアは、
「ジュダの人生を守る」ことと「ジュダの人生を自分で決める」ことの境界を越えてしまった。
私はここに、ナキアの怖さと悲しさが同時にあると思っています。
ナキアが本当に守りたかったのは「ジュダ」だけだったのでしょうか?
ここは、もう少し踏み込んで考えてみたいところです。
ナキアはジュダを帝位につけようとします。
でも、それは本当に「ジュダ本人が望む人生」を守ることだったのでしょうか。
もちろん、ここにも作中で明確な答えはありません。
だからこそ私は、ナキア自身の「失いたくない」という感情に注目したいと思います。
ナキアは、ただ未来を望んでいるのではありません。
自分が作った未来を失うことを恐れているようにも見えるのです。
ジュダが帝位につけば、自分の立場も守られます。
自分が積み上げてきたものも無駄になりません。
だからこそ、カイルという存在を排除しようとする。
そしてユーリが現れたことで、その計画が大きく揺らいでいきます。
こう考えると、ナキアが守ろうとしているのはジュダだけではなく、
「ジュダを帝位につけることで成立する、自分自身の居場所」
だったのではないでしょうか。
これは私の仮説です。
でも、そう考えるとナキアの行動が少し違って見えてきます。
彼女は権力を欲しがっているだけなのではありません。
失うことが怖いから、先回りしてすべてを自分の手の中に置こうとしている。
そう考えると、ナキアの行動は一層苦しく見えてきます。
ウルヒは、なぜ最後までナキアの側にいたのでしょうか?
そして、ナキアを考えるうえで絶対に外せない人物がウルヒです。
ウルヒはナキアの側に立ち、数々の陰謀に関わってきました。
ユーリを狙った策略にも関わり、物語の終盤では皇帝暗殺の共犯として追い詰められていきます。
そして27巻。
小学館公式の紹介には、皇帝暗殺の共犯を問われたウルヒが自決し、ナキアは生涯幽閉の身となったと明記されています。
さらに、その後ナキアは幽閉先から姿をくらまし、ユーリを消し去るため最後の罠を仕掛けます。
ここは何度読んでも重いところです。
なぜウルヒは、そこまでナキアの側にいたのでしょうか。
もちろん、二人の関係を私が勝手に「恋愛」と決めつけることはできません。
むしろ私は、もっと複雑な関係だったのではないかと思っています。
ここからは完全に私自身の読みです。
私は二人を、「自分を必要としてくれる相手を、互いに必要としていた関係」として読むと、しっくりきます。
ナキアは人を動かします。
でも、ナキア自身もまた、誰かを必要としている。
その相手の一人が、ウルヒだったのではないでしょうか。
もしそうなら、ナキアは「誰にも頼らない強い権力者」ではありません。
むしろ、誰かに必要とされることによって、自分の存在を確かめていた人だったとも読めます。
これは原作が明言した設定ではありません。
だからこそ、私はこの部分を「事実」ではなく「考察」として読んでいます。
そして、その読み方をするとウルヒの最期がさらに苦しくなります。
ナキアの側にいたウルヒは、最後には自ら命を絶ちます。
ナキアが守ろうとしたものは、結局、彼女の手の中から少しずつこぼれていったのです。
もし、ユーリがカイルと出会っていなかったら?
ここで、私が一番考えてみたい仮説があります。
ナキアとユーリは、本当に正反対の人物だったのでしょうか。
もちろん、生き方はまったく違います。
ユーリは人との出会いを重ねながら、自分の居場所を作っていきました。
ナキアは、自分の居場所を守るために人を動かしていきました。
でも私は、この二人の出発点に、「自分の居場所を失いたくない」という共通する不安があったのではないかと考えています。
ユーリは突然、現代日本から古代ヒッタイトへ放り込まれました。
何も知らない世界。
帰る方法も分からない。
周囲に頼れる人もいない。
そんな場所で、ユーリはカイルや仲間たちとの関係を作っていきます。
一方のナキアは、自分の築いてきた立場を守るために、人を動かしていきます。
ここが二人の決定的な違いです。
ユーリは「人とのつながり」の中に居場所を作りました。
ナキアは「人を動かすこと」によって居場所を守ろうとしました。
私は、この違いがナキアの悲劇を生んだのではないかと思っています。
だから、ナキアは、もう一人のユーリだったのではないでしょうか。
という仮説が浮かんできます。
もちろん、これは原作が示している答えではありません。
私自身の読みです。
でも、二人をこうして並べてみると、『天は赤い河のほとり』という物語が少し違って見えてきます。
「誰と結ばれるか」という恋愛だけではなく、「自分の居場所を、どうやって作るのか」という物語としても読めるからです。
ナキアとユーリの違いは、「誰かを信じられたか」なのかもしれません
では、なぜユーリはナキアと違う道を進めたのでしょうか。
私は、「自分だけで未来を決めようとしなかったこと」が大きいのではないかと思っています。
ユーリだって、最初から何でもできたわけではありません。
怖がることもあります。
迷うこともあります。
それでも、誰かと関わりながら前に進んでいきます。
自分一人で全部を支配しようとはしません。
ナキアは、その逆でした。
自分が動けば未来を変えられる。
自分が先回りすれば、大切なものを失わずに済む。
そう考えてしまったのではないでしょうか。
もちろん、これも私の解釈です。
でも、「信じる」ということと、「自分で全部をコントロールする」ということ。
この違いを考えると、ユーリとナキアの距離がかなり鮮明になります。
そして皮肉なのは、
ナキアが人を動かして未来を守ろうとするほど、結果的には大切な人たちを失っていったことです。
ナキア皇妃の最後は?死亡したのでしょうか?
ここは、原作を読んだ人でも気になるところだと思います。
結論から言えば、
ナキアが作中で死亡したと明示されているわけではありません。
むしろ原作終盤では、ナキアの失脚から脱走、そして最後の罠へと物語が進みます。
26巻の小学館公式紹介では、ナキアが失脚し、生涯幽閉の身となったこと、そしてその後に脱走したことが示されています。
さらに27巻では、幽閉先から姿をくらませたナキアが、ユーリをこの世界から消し去るために最後の罠を仕掛けると紹介されています。
そして28巻で本編は完結します。
小学館公式では、28巻について「大型歴史ロマン、アナトリアの大地で堂々完結」と案内され、本編では語られなかったエピソードや、カイルとユーリ以後の時代の物語も収録されています。
だから、「ナキアは最後に死亡した」と断定するのは避けたほうがいいでしょう。
少なくとも小学館公式の巻紹介からは、ナキアの死を結末として確認することはできません。
ここはネット上の「死亡説」だけで判断するのではなく、原作そのものを確認しておきたいところです。
ナキアの最後の罠が象徴しているもの
私がナキアの最後を読んでいて面白いと思うのは、
最後の最後まで、ナキアが「人を動かす」ことで状況を変えようとしていることです。
という点です。
失脚しました。
幽閉されました。
それでも終わりません。
ユーリを消そうとします。
つまり、立場を失ってもナキアのやり方そのものは変わらないのです。
ここが、ナキアというキャラクターの怖さなのだと思います。
そして同時に、悲しいところでもあります。
なぜなら、彼女は最後まで、「誰かと一緒に未来を受け入れる」という道を選べなかったようにも見えるからです。
もちろん、これも私の考察です。
でも私は、ナキアの最後を「悪役が最後まで悪役だった」とだけ読むより、
「最後まで自分の手で未来を変えようとした人だった」
と読むほうが、この人物には似合っていると思います。
私がナキアを「悪役だけでは終わらせたくない」理由
ここまでナキアについて考えてきました。
だからといって、「ナキアは本当はいい人だった」と言いたいわけではありません。
ユーリの命を狙いました。
カイルを陥れようとしました。
人を利用しました。
皇帝暗殺にも関わりました。
その結果、多くの人間が傷ついています。
そこを「母親の愛だったから」と簡単に許してしまうのは、私は違うと思います。
むしろ私がナキアについて考えたいのは、
悪いことをした人物だからこそ、「なぜそこまでしてしまったのか」を考えたい
ということです。
ナキアにはナキアなりの守りたいものがありました。
でも、それを守る方法を間違えた。
「あなたを守りたい」が、「あなたのために私が決める」に変わってしまった。
その瞬間、愛情は支配へと変わっていったのではないでしょうか。
私はナキアを、
「愛すること」と「相手の人生を自分で決めること」の境界を越えてしまった人物
として読んでいます。
そして、この読み方をすると、ユーリとの対比がますます面白くなります。
ユーリもまた、異世界に放り込まれました。
自分の居場所を失いました。
それでも、人とのつながりを一つずつ作っていきました。
ナキアは違いました。
自分の居場所を失わないために、人を動かしました。
だから私は、
ナキアとユーリは、似た不安を抱えながら、まったく違う方法で生きようとした二人なのではないか
と思っています。
それが、私が「ナキアはもう一人のユーリだったのではないか」と考える理由です。
まとめ ナキアは「悪役」だからこそ、読み返すほど苦しくなります
『天は赤い河のほとり』のナキア皇妃は、間違いなく物語を大きく動かした人物です。
ユーリの命を狙い、カイルを失脚させようとし、ジュダを帝位につけるために陰謀を重ねました。
七日熱を利用したユーリ暗殺計画も、原作9巻で明確に描かれています。
そして終盤では失脚し、幽閉され、それでも脱走してユーリを消そうと最後の罠を仕掛けます。
だから、「悪役」という見方は間違っていません。
ただ、私はそれだけでナキアを終わらせたくありません。
ナキアは、大切なものを失いたくなかった。
だから、自分の手で未来を作ろうとしました。
けれど、その「守りたい」が強くなりすぎて、他人の人生まで自分で決めようとしてしまった。
そして結果的に、自分が守ろうとしたものまで失っていきます。
私はそこに、ナキアの悲劇があると思っています。
そして何より面白いのが、
ユーリとナキアは、まったく違う人間に見えて、実は「自分の居場所をどう作るか」という同じ問題に向き合っていたのではないか。
ということです。
ユーリは、人とのつながりの中で居場所を作りました。
ナキアは、居場所を失わないために人を動かしました。
その違いが、二人の運命を分けたのではないでしょうか。
もちろん、「ナキア=もう一人のユーリ」というのは、原作が明言している答えではありません。
私自身の仮説です。
でも、こういう読み方をしてから『天は赤い河のほとり』を読み返すと、ナキアがただの「嫌な悪役」には見えなくなってきます。
許せるわけではありません。
正しかったとも思いません。
それでも、「この人は、いつからこうなったのでしょう」と考えてしまいます。
そこまで読者に考えさせることができる。
それこそが、ナキアというキャラクターのすごさなのだと思います。
あなたはナキアをどう読みましたか?
「ジュダを愛していた母親」だったと思いますか?
それとも、
「自分の望む未来をジュダに押しつけた母親」
だったと思いますか?
あるいは、私のように、
「ナキアは、もう一人のユーリだったのでは?」
と感じるでしょうか。
ぜひ、あなたの読みも聞かせてください。
参考にした一次資料
本記事では、作品内容の確認に小学館公式の作品・各巻紹介を参照しています。
- 小学館『天は赤い河のほとり』8巻:ナキアがザナンザとユーリに刺客を放った展開
- 小学館『天は赤い河のほとり』9巻:七日熱を利用したユーリ暗殺計画
- 小学館『天は赤い河のほとり』26巻:ナキアの失脚・幽閉と脱走
- 小学館『天は赤い河のほとり』27巻:ウルヒの自決、ナキアの幽閉と脱走、最後の罠
- 小学館『天は赤い河のほとり』28巻:本編完結、番外編収録


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